ゲームは問題解決である
ゲームを無駄と捉える意見があるのは知ってますが異があります。
私はゲームは問題解決だと思ってます。例えばロールプレイングゲームでは「あのボスが倒せないどうしよう」等の問題が発生し、プレイヤーは色々試行錯誤するわけです。
これは、ゲーム外の現実の問題解決にも応用できる話なのです。
現実の問題、問題解決の例
現実の問題とは例えば次のような例です
「売上の明細があるのだが、年齢別、男女別に購入額を分析して、一番多い層向けの商品を仕入れるようにしたい」
これは、普通に問題解決です。
この現実の問題では、例えば次のように問題解決を行います。
- 売上データをEXCELで取り込み、ピボットテーブルで分析する
ですが、大きな会社になって売上データが大量になるとEXCELでは対応できなくなったりします。
また、他にも解決したい課題が出る場合は多いです。
- データが多すぎてEXCELに入らない
- 大勢で分析したい
- 支店が全国に50店あるが、全ての店の売上30分以内に分析したい
このような問題や要望が出てくると、専用にサーバーを用意して専用にシステムを作るなどして問題解決する事となるでしょう。
現実ではこのようにして、要望を実現するために問題解決を行います。
発生する問題はさまざまであり、問題を解決する手段も様々です。
ゲームの問題解決
さて話をゲームにしてみます。
ロールプレイングゲームで、ボスを倒すためにはあの手この手を使います。
- この魔法を試してみる。
- LEVELを上げる。
- 編成メンバーを変える。
- 装備を変える、等など様々です。
これらは立派な問題解決です。
しかも、ただ倒すだけでなく、プレイヤーはそれぞれ独自の目標を立てこの問題解決に当たります。
- とにかくプレイ時間を短くしてボスを倒そう
- 全滅する回数を最小限にしてボスを倒そう
- このボスまでのイベントを体験して最大限の知識でこのボスに挑もう
- 可能な限り低レベルでボスを倒そう
- 仲間を連れずに主人公一人だけでボスを倒そう
- 装備はすべて外して裸でボスを倒そう
課題はいくらでも立ちます。課題を解決する手段も一通りではなく様々です。
現実の問題解決とゲームの問題解決は大差ない
前の節でゲームは問題解決であると説明しました。
ただ、次の様な意見は出るかもしれません。
「ゲームも問題解決であるのは分かった。だが、ゲームの問題解決は現実の問題と比較して矮小だ・小さすぎる」
これに対して私は、現実の問題解決とゲーム内の問題解決は大差ないと考えます。
ゲームは開発者の作った箱庭のなかで問題解決するしかないのですが、実は現実の問題解決も大差ありません。
前に挙げた現実の例「売り上げを分析したい」においても、出せる金には限りがあり、問題解決を手伝ってくれる人的資源には限りがあり、期限だってあります。
現実も様々な制限の中で問題解決するしかないのです。
ですので、ゲームの問題解決をする事と現実の問題解決をする事は、制限の中で・目的を達成するために・様々な手段を用いて問題解決するという点で実は大差ないのです。
ですので、ゲームができるというのは、現実の問題も解決する能力があるというのと大差ないと私は考えます。
このようにプレイヤーに問題解決能力があるという点で考えると、ゲームを一律に役に立たないものと分類するのは誤りと思います。
さらに難しいゲームの問題解決の例
ゲームのプレイ時にプレイヤーが独自の制限をかける事はよくある事です。
例を挙げてみましょう
- 日本で一番の点数を取る
- ゲーム開始から最後のボスを倒すまでの時間を短くする、時間効率の良いプレイを考案する
このプレイヤーは自分で新たな問題を定義しました。定義した問題を解決しようと努力を続けるわけです。
自分で問題を定義するというのは、人に与えられた問題を解くよりも、一次元上のレベルです。
試験を受ける人より、試験問題を作る人のほうが一枚上手である事に異がある人はいないかと思います。
ですので、自分で問題を定義してそれを解決する、あるいは解決のために試行錯誤を続けるというのは、単なる与えられた問題を解くだけでなく、さらに上のレベルに挑戦しています。
現実の仕事でも、与えられた問題を解くだけではそこそこの評価をされるだけです。与えられた仕事に対して言われたこと以上の成果・120%を達成することによって大きな評価が得られます。
私はゲームでも同様と考えます。
制限プレイを考案してその問題解決を続ける人は、現実の問題にも120%の回答をできる可能性を秘めているのです。(もちろん、必ずではないですが)
ゲームができるのは、人の評価に値する
ここまで書きましたように、私はゲームができるというのは「問題解決能力がある」という点で人間の評価の一つとしてよいと考えています。
ですので、世のゲームが上手な方は「ゲームが上手である事を誇りにするべきである、堂々と世にアピールするべきである」と私は考えます。
ゲームは下らないものではないです。臆さずに「私はこんなにゲームができるのだ」とアピールしましょう。わかる人はわかってくれます。